中国では、中国共産党が体操として普及するために一般に広めましたが、中国では、日本のラジオ体操のように、何も拘らず、ただ朝にみんなで集まって、何も習うこともなく、体を動かす体操として楽しんで、大変多くの人に親しまれています。
中国では、日本のラジオ体操のように、全く同じように、ただ誰もが楽しんでいる体操なのです。
そして、ここから、本格的に太極拳を深めたい人が出てきて、本来の太極拳を求めていけばいいのです。
日本に制定太極拳が伝わったとき、ただ中国の人たちのように朝のだれもが参加するラジオ体操のように伝わったのではなく、誰かが、専門的にまた伝統的であり、秘術や秘訣などの付加価値を独占して造り上げることで、太極拳を特別なものとしてしまったようです。
しかしながら、中国共産党が造り上げた傑作の、単なる簡単な体操であるにも拘わらず、中には、伝統武術であると様々な武術要素を加えて、武術の基礎ができていない人たちに、あたりまえに難しい動きを求めました。
その上、規則や要訣などを安全のために不可するという矛盾を問題にもしないため、多くの人が身体に支障を生み、キャリア修得のようにこれらの規則や要訣を備えた太極拳の技術を習得することを目標として、その達成感を目指す人たちを主として、太極拳が愛好されています。
本来は、この太極拳の動きは、中国人、日本人の身体特性に応じた動きですから、何も制圧せずおおらかに動いていればいいのです。そして、そうでないと実は次の「大架式」の段階に進めないのです。
それが、中国の人たちの朝の太極拳です。香港の人たちもそうでした。
そして、その動きを行っている中で、本来の潜在能力にある勢いの心地よさに芽生えたら、その勢いを思いだすことができる、本来の太極拳に進めばいいのです。
簡単な動きで、自らの潜在能力にある本来の勢いを思いだして、この心地よさと爽快感、生命感などを感じたとき、自然と美しくて健やかなの動きが身についていくわけです。
「規則や要訣、動き方や姿勢など一切気にせず、本来の潜在能力が生み出す勢いを思いだす」それが、古来からの太極拳の中心的な目的なのです。
初めての方も、すでに太極拳を愛好している人も、雕架式でそれを思い出して、本来の勢いで動く太極拳を身につけて、健康で元気な生涯に役立てて頂ければと思います。